沖縄の紙芝居屋さどやんのホームページ

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イベントリポート

戦争とメディア「母の沖縄戦」

母の友人がつづった沖縄戦の体験記があります

刊行されたのは、平成20(2008)年、前年の平成19(2007)年に憲法改正の国民投票に関する法律(通称:国民投票法)が制定されました
自民党が、また戦前の悪法に戻そうとしているとの不安にかられ、次世代へ苦しかった戦争の記憶を残したいとの思いで執筆した旨がつづられています

◎銘苅義勇隊について

昭和20(1945)年3月21日ごろ、那覇市銘苅の青年団(男11名・女17名 計28名)
により「銘苅義勇隊」が結成される。
(私の母、当時25歳)

入隊式での中隊長の言葉
「君たちは、この僕に命を預けるか」

みんな国のために働けることになんの抵抗感もなく、協力することに誇りさえ感じていた。
(体験記より抜粋)

◎戦争とメディア「ローカル新聞」
https://www.kamishibai.okinawa/entry.php?eid=293339
↑ こちらの記事でも紹介したように、昭和14(1939)年の時点で、沖縄の若者たちの「戦争協力」への機運は充分に高まっているのが分かります



しかしながら、民間人を戦闘員として招集できる「義勇兵役法」が正式に法案となったのは6月23日です
法的根拠がないまま、戦場に駆り出されていることになります
決定したのは当時の島田県知事です

◎銘苅義勇隊、その後

28名のうち
男 8名 女 11名
計 19名が戦死
(体験記より抜粋)

◎戦地の情景
※名前は仮名です

二度目の小休止にはみんな落ち着いて爆雷を背負ったまま、土手に腰かけて雑談した。
隣りに腰かけていたヨシちゃんが
「初子ねーさん、弁当持ってきたねー」
と聞くので、持ってこなかったと言ったら「私の弁当、油みそ入れてあるから、とてもいい匂いがするよ」
と、私の鼻にくっつけて
「あとで一緒に食べようね」
と、私を喜ばせてくれた。

(体験記より抜粋)

この女性はこの数時間後に、艦砲射撃に被弾し、友人たちの目の前で亡くなりました

◎母の想い(戦後)

戦争のために若い命を散らし
亡くなった友を思い出すたびに胸が痛む

51年の月日がたとうと忘れることなんかできない

亡くなった友を思い出すたびに胸が痛む

(母が平成8年に書き残した琉歌)


★関連ページ
戦争とメディア「ローカル新聞」
https://www.kamishibai.okinawa/entry.php?eid=293339

◎戦争とメディア「国策紙芝居その他もろもろ」
https://www.kamishibai.okinawa/entry.php?eid=293331



戦争とメディア「ローカル新聞」

1941年制作の国策紙芝居の明るい様子から、当時のウチナーンチュの雰囲気が知りたくなり、新聞資料を探しました
◎戦争とメディア「国策紙芝居その他もろもろ」
https://www.kamishibai.okinawa/entry.php?eid=293331

1939年(昭和14年)の沖縄朝日新聞のグラビア特集号を紹介します





5月17日、波の上宮の例大祭(なんみん祭)と併せた、沖縄からの出兵兵士(日中戦争)への激励号となっています


各市町村の若者たちが、銃後(現地)で勤労奉仕などにがんばっている様子です



学生さんから沖縄出身の兵隊さんへのメッセージ
「標準語励行」や「戦意高揚」の標語が身近な様子が文面から伝わってきます

◎新聞資料の閲覧・コピー可能です
沖縄県立図書館 098-894-5858
5階:郷土資料室
「戦前の沖縄関係新聞 明治34年~昭和20年」


★関連ページ
◎戦争とメディア「国策紙芝居その他もろもろ」
https://www.kamishibai.okinawa/entry.php?eid=293331

戦争とメディア「母の沖縄戦」
https://www.kamishibai.okinawa/entry.php?eid=293346

戦争とメディア「国策紙芝居・その他もろもろ」

今年は「昭和100年」にもあたります
テレビが無かったそのころ、電気いらずで、どこでも楽しめて、絵と語りが主体なので、文字が読めなくてもだいじょうぶな「紙芝居」は日本国民にとって「娯楽の王さま」でした
そして、戦争の影が近づくにつれ、「娯楽の王さま」は「洗脳の道具」へと姿を変えていきます
楽しくて、ゾッとする当時の作品をご紹介いたします




銃後 貯金だより
原作・絵画/高橋健次郎
製作/日本教育紙芝居協会
指導/貯金局
昭和16(1941)年10月/12月が開戦

歌いっぱいギャグいっぱいで、楽しく節約・貯金、そして「愛国国債」の購入を呼びかける作品です
作者の高橋健次郎さんの詳細資料が無いんですが、紙芝居の楽しさが散りばめられた構成に、職業作家としての実力が感じられます

作品に登場する軍国歌謡は、youtubeで元歌をお探しください
・兵隊さんよ ありがとう(昭和14年:1939年)
・隣組(昭和15年:1940年)←ドリフ大爆笑の元歌


「銃後 貯金だより」が創られた当時の漫画家さんの年齢です
長谷川町子さんがもっと早く生まれていたら、この国策紙芝居の主役は「サザエさんファミリー」だったかもしれませんね




※画像のみ

フクちゃんと怪人物
大蔵省委嘱作品
作/横山隆一
製作/画劇報国社
定価/3円20銭
昭和18 (1943)年6月

当時の大人気、新聞4コマのキャラクター、フクちゃんが主人公の作品です
おじいちゃんと一緒に貯金をがんばっているフクちゃんの前に、貯金をじゃまする謎の怪人物が現れ、町中の貯金箱を壊していきます!
おとぼけストーリーの中に「鬼畜米英」のメッセージが潜んでいます



日米ヘイト合戦といったところでしょうか
アメリカのポスターは戦争国債のPRも兼ねています
どの国もヘイトの活用方法は同じですね

◎資料ページ
『鬼畜米英漫画全集』が完成
https://publibjp.com/20230219


当時、最もヘイトスピーチを活用していたのが、なんと「主婦の友」!
割烹着姿の国防婦人会の皆さんが愛読していたんでしょうか

特集「一億特攻の生活」号が発行されたのは、米軍が沖縄本島に上陸した4月です

◎資料ページ
探検コム:「鬼畜米英」の誕生
https://tanken.com/kitikubeiei.html



まさに「戦争」は「洗脳」だと感じます



この役割を当時、担っていたのが政府の機関です



◎戦争ルールについて



こちらが当時の戦争における「国際ルール」となっていたものです
日本は導入しませんでした



こちらが日本の戦争ルール、「捕虜」を全面否定しているので、戦時に選択できるのは「死」だけです
兵隊はもちろんのこと、すべての国民がこのルールに従っていました


★関連ページ
戦争とメディア「ローカル新聞」
https://www.kamishibai.okinawa/entry.php?eid=293339

戦争とメディア「母の沖縄戦」
https://www.kamishibai.okinawa/entry.php?eid=293346


「戦争と紙芝居と昭和マンガ」イベント開催!





6月です、沖縄の平和月間が始まりました
さどやんの取り組みを紹介いたします

★戦後80年:紙芝居で昭和マンガを考える集い
第3回「フクちゃんと怪人物」

6/14(土)
15時スタート(観覧無料)
ジュンク堂書店那覇店 地下イベントスペース

昭和の娯楽文化である「紙芝居」と「マンガ」を通して戦争を考えるイベントです。

第二次大戦中、紙芝居は国民にいちばん身近なメディアとして、広報宣伝で大活躍していました
人気のマンガキャラクターが登場する当時の作品を、実演とともに紹介いたします
でーじ(とっても)陽気で楽しい作品です、ビックリして、ゾッとします(*_*)

その他、当時の新聞、雑誌、私の母の戦争体験記などもご案内いたします
そして沖縄戦がテーマの、さどやん新作のお披露目もございます

◎「ちむじゅらさん」と「がんじゅーさん」紙芝居ムービー



youtubeにて公開中です!
お時間あるときに、ぜひぜひご覧ください~

戦後80年、関連の取り組みにご興味がある方に、情報シェアいただけると嬉しいです
平和のために、まじゅん、ちばらやー
(いっしょに、がんばりましょー!)

★「ちむじゅらさん」と「がんじゅーさん」紙芝居ムービー




2025年は戦後80年
作品のテーマは沖縄戦です

「ちむじゅらさん」は、「こころ優しい」
「がんじゅーさん」は「丈夫で元気」

沖縄の戦後を生き抜いた高齢者をイメージしたキャラクターです
この2人が、苦しかった戦争の記憶を地域の子どもたちに伝える、という内容になっています

イベントを含め、マブイ(魂)を込めて語っていきます
たくさんの方にご覧いただけることを願っています

◎PDFでご覧になりたい方は下記のリンクをご利用ください
https://drive.google.com/file/d/1n710NXt8Gbe-USpHdiSi2ztfHutTN-SB/view?usp=sharing

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